私は、昭和51年4月に大阪弁護士会に弁護士として登録をし、大阪市内の事務所に約2年間勤務した後、
岸和田市において独立をして、今日までの活動をしてきました。
岸和田市は、城下町であったことや、大阪地方裁判所岸和田支部がおかれていたことなどから、
かつては、大阪府南部の泉州地域の中心地であり、繊維関係やワイヤーロープの関係等の中小
零細企業が多数存在したものです。
しかしながら、情報伝達手段の発達や、輸送手段の発達等により、これらの地場産業は、
徐々に衰退し、地域の中心というイメージも薄れてきていると思えます。
このような町で、私はまさに田舎の町医者のように、連日11時間程度の勤務時間で、
近所の大勢の依頼者の種々雑多な事件を処理してきたものです。
私が処理してきた事件数は、たぶんどの弁護士先生にも負けない数ではないかと自負しております。
そのほとんどはご近所の中小零細企業や個人の依頼者からのもので、
堀エモンや村上ファンドの様な高額な紛争や、何十億もの事件は、本当に数えるほどしかありませんでしたが。
私は、地域に密着し、なじみの依頼者の、どちらかといえば少額で種々雑多な事件を、
朝から晩まで懸命に処理するというこれまでの弁護士活動が、自分の身の丈に合った、又、
自分の性分にもあったスタイルだと納得しております。
弁護士とは、実に悲しい職業であり、依頼者のために一生懸命に職務を行なえば、必ず
相手に恨みを買うというような面があるものです。私自身は、社会的に妥当な解決案を懸
命に模索しながら事件処理を行ってきたつもりですが、不当に自らに有利に事を運ぼうと
する相手方(時には依頼者もある)とは、どうしても対立が激しくなり、時には逆恨みを
買うこともありました。しかしながら、不当なことや不正なことに対しては、断固として
対応してきたつもりです。
今後も残り少ない弁護士活動を、これまでの自らのスタイルのままで、社会的妥当な解
決を第一義に考えて、事件処理を行っていきたいと考えている次第です。
弁護士 岡本久次